充実感と達成感
自転車を始めた頃の記憶
幼い頃から自転車が好きでした。日曜日に山に登って、図書館に立ち寄り帰ってくると、川沿いの道を自転車で走りました。自転車をこぎながら、涼しい風に吹かれて、虫の声やコウモリの羽音に耳を澄ましたり、暮れゆく西の空を眺めたりするのが好きでした。想像力を膨らませる本の世界とはまた違った感覚が得られました。ときどき海沿いに遠く離れた町まで走りました。弧を描いた海岸線の先に自分の町があるのだと思うと、あるいは山の手の丘に登り、高台から見下ろした風景の一画に自分の日常があるのだと思うと、不思議な気分になりました。
中学受験が終わった頃に、母が乗っていたマウンテンバイクを譲り受け、行動範囲を広げました。さらに大学受験生のときに、シクロクロスバイクという未舗装路も走れるロードバイクに似た自転車に乗り始めました。林道の奥の砂利道も自由に走ることができました。地図に赤線で走った軌跡を引いていきました。大学進学とともに、このシクロクロスバイクを東京に持って行き、信州や東北などあちこちへ輪行に出かけて走行軌跡を広げました。
いまは、父から譲ってもらったクロモリのロードバイクで、時間を見つけては走っています。
自転車の魅力はたくさんあります。自分の体力と気力次第で行動範囲を自在に変えられる点が、最も大きな魅力だと思っています。私は速さを追求しておらず、自転車が与えてくれる冒険・開拓的な側面に可能性を見出しています。自転車は相棒というよりは、身体の延長上・一部と言ってもいいほどです。
自転車との日々
大学に進学してからは、学業と登山で毎日が明け暮れていました。自転車はこれらの合間に位置付けられていました。東京での暮らしは目新しいことが多く、本で何度も読んだことのある地名が実在していることに感動し、聖地を巡礼するように、一つずつ巡りました。このときに活躍したのが自転車です。自転車は地域と暮らしを知るための最上の手段でもありました。気がつけば、2年間で首都圏の主な河川やサイクリングロードを全て走り終えていました。
上京して3年目に、千葉県の柏・流山地域に住み始めました。前年の初夏にロングライドで近くを通り、とても雰囲気の良い町だと感じたので引っ越しました。都心近くなのに、森や田園風景が広がっており、生き物が多く、私好みの地域でした。
夏は毎朝4時前に起床し、1時間ほど自転車で走ってから、勉強や研究に打ち込んでいました。朝日に赤く染まる東の空を眺めながら、小さな森や田園を駆け抜けると、頭も気分もリフレッシュされて勉強への集中力が上がりました。また、自転車は健康を支えてくれ、日々の活力源にもなりました。
3年前に新型コロナウイルスが拡大したときに、電車通学を控えて、大学まで往復60kmの道のりを自転車で通学しました。交通量の多い都会の道路を黙々と走るのは単調ですから、毎日の走行を記録し、平均速度や区間ごとのタイムを計測しました。雨や暑さ寒さは随分身に堪えましたが、根性と体力がついたように思います。パーツの交換を含めて基本的なメンテナンスは、自分でできるようになりました。
充実感と達成感
「自分の気持ちが充たされた状態を充実」と表現するなら、「『頑張ったぞ』と言えるようなことを成し遂げた状態は達成」と呼べます。
仕事や勉強が一段落したときにロングライドに出かけます。自転車界では、「湖や半島を一周することを『〇〇イチ』」と呼びます。とてもわかりやすく、走行距離の指標として使えます。
関東にいる間に、一通りの「〇〇イチ」を達成しました。「ワンイチ(東京湾200㎞)」、「カスイチ(霞ヶ浦140㎞)」、「イズイチ(伊豆半島280㎞)」を昼も夜も走り続けて完走しました。関西に戻ってきてから、「アワイチ(淡路島150㎞)」、「ビワイチ(琵琶湖200㎞)」、「ケイハンナイチ(淀川→木津川→大和川125㎞)」を完走しました。いずれのコースも早朝に出発して夕方に走り終えました。
既存のルートだけでは面白くありません。「〇〇イチ」はルートが定まっているため、不自由さを感じることがあります。そこで、長野県の「日本百名山」を順番に自転車と登山でつないだり、川を河口から源頭まで辿ったりしました。独創的なアイデアこそ、計画するのも、実行するのも、走り終えてマップに軌跡を引いて振り返るのも楽しいです。 最近は技術の進歩により、区間ごとの斜度や速度、獲得標高を詳細に調べることができます。後で振り返って充実感に浸ることが多いです。昔の人が峠を越えて新しい世界と出会った道であったり、参勤交代の経路として開拓された道であったりした歴史を知ると、さらに感慨深く思い出されます。
本記事は、毎月発行している「学心だより」の抜粋文です。期間限定で公開いたします。