山を歩く

山を歩く

まだ歩けない時分から、父に背負われて山に登っていました。自分の足で歩けるようになると、興味の赴くままに山道を駆け出して、草花や虫などを観察するようになりました。山の中では一歩踏み出すごとに、不思議なことや気になることが現れてきます。初めて見るものに関心が広がっていきました。

山の小径を歩いていると、いろんな考えが頭に浮かびます。自然の中で出会う不思議な現象について父と話しました。晩秋に山の木々が落葉して林床が明るくなります。風が吹くとササの葉が一斉に揺れ始めますが、一枚だけピタリと止まったままです。風の強さが変わると、止まっていた葉は振動し始め、そよいでいた葉は静まります。春先の陽光の下、シダの新芽がくるくると綺麗に巻かれているのを見て、これから展開して葉を伸ばす姿を想像しました。

「『ドリトル先生』のように山に棲む生きものたちと話ができればなぁ」と思ったこともありました。小学高学年になると、社会のあり方や人としての生き方について話しました。発想やアイデアは、すぐに言葉にして父と共有しました。これは客観的な視点を取り込むだけではなく、自分自身の考えを忘れないように心に刻んでおくためでもありました。

中学・高校時代は山から足が遠のきました。自宅の周りを散歩して、沸々と湧いてくるアイデアをノートに書き留めていました。受験期は毎日1時間かけて散歩しました。歩くことが身体のリフレッシュになりました。散歩は頭や心の気分転換になり、自由な思索を楽しめるという効能もありました。

山を登る

大学時代は山岳部に入部して、沢登りや藪漕ぎ、山スキーの技術を習得しました。文字通り縦横無尽に山肌を駆け回りました。これは登山道だけを歩いていた頃に比べると革命的なことでした。作られた道を歩くという束縛から解放されて自由を得た気分でした。深い藪をかきわけて、自らの力で道を切り拓いていくという新たな視点を獲得しました。自由な反面、ルート取りや天候判断を誤ると命に関わるため、メンバーと方針を議論しながら行動しました。

厳冬期の立山で文部科学省が主催する「登山リーダー冬山研修」に参加したこともあります。昭和時代の山岳部を彷彿させる研修でした。35kgを超える荷物を背負ってのラッセル(雪をかきわけて進むこと)、制限時間内での雪洞(雪を掘って作る就寝用の穴)掘り、雪上のテント設営など体力がなければできない課題でした。気象学、無線での交信、救出・搬出訓練、埋没訓練(人を雪に埋めて時間内に掘り起こす)など最新の登山技術を身につけるための研修もありました。

単独行(一人だけで登山をすること)やグループ登山などを振り返って感じるのは、体力の大切さです。どれだけ豊富な知識や技術があったとしても、体力が不足していれば登山は成り立ちません。体力があれば、気持ちに余裕を持って行動できます。山を跋渉することで、体力や精神力が鍛えられました。

研究のお手伝いで森林の調査に同行したときは、各分野の専門家から手ほどきを受けました。幼少期に山野を駆け回っていた頃に抱いた「山は大きな生態系の一部である」という思いを改めて感じました。

山を越える

「日本の屋根」と呼ばれる日本アルプスには、3,000m級の山々が連なっています。十代から二十代前半までにほぼ全ての主要な峰に登りました。

南アルプスと中央アルプスは、登山道のない薮区間を含めて全山を縦走しました。夏季の薮区間は水の確保が死活問題になります。湧水を探し求めて、道のない斜面を2時間歩き回ったり、地形判断が難しくて山の中を右往左往したりしたこともあります。

体力的にも精神的にも厳しい山行が多かったです。時間の経過とともに記憶は宝石のように輝き始め、山脈を眺めれば山の呼び声が聞こえるようです。

社会人になると自由に使える時間が限られます。長距離山行をするために午後10時にクルマで大阪を出立します。早朝に登山口に着き、山に入ります。山上でテントを張り仮眠をとります。午後9時ごろに起きてヘッドランプを点けて歩き始めます。北アルプスの最奥に位置する黒部源流域を深夜から翌日の夕方まで歩き続けたこともあります。ひっそりと静まり返ったアルプスの夜は、音と光が消えた世界です。感覚はいよいよ研ぎ澄まされ、社会のあれこれから脱却して原始の状態に戻った気分になります。これも新しい視点の獲得と言ってもいいかもしれません。非日常感に浸りつつ、ひんやりとした岩肌をなぞりながら、先へ先へと進んでいきます。

大地を歩いた軌跡にはさまざまな努力や苦難、試行錯誤の過程が刻まれており、自分の生き方を写し出しているようにも感じられます。こうして軌跡を少しずつ伸ばしていきたいと思うのです。

本記事は、毎月発行している「学心だより」の抜粋文です。期間限定で公開いたします。

この記事を書いた人

学ぶ楽しさを伝えたい。
自分で学べる子どもたちを育てたい。
2022年春に新規事業立ち上げ。教育で貢献します。